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【パンダとの出会いは?】

ポートピア'81というエキスポが神戸で開催され、そこにパンダが2頭やってきました。
そのエキスポのパンダ担当の飼育員さんが書かれた書籍(飼育日記)の中で、パンダが絶滅危惧種であることを知り、「こんな愛らしい動物が地球上からいなくなってしまうなんて!」と大きなショックを受けました。
そして「自分が将来お金を稼げるようになったときに、必ずパンダや絶滅危惧種の保護に役立ちたい」と心に深く刻みました。

【どうしてパンダの里親に!?】

1999年、初個展である「パンダ展」を開催しました。そのとき今こそ売り上げの一部をパンダのために使おう!と思いました。
どうすればパンダの保護に役立てるか考えあぐねていたある日、毎日新聞に里親制度を作った生内玲子さんの記事を見つけたのです。

張和民さんと(命名) 「この里親制度なら必ずパンダのために使ってもらえる!」、新聞社を通し生内さんに電話で想いを伝えたところ、「ちょうど来月中国へ行くので一緒に行きましょう」と嬉しいお誘いをいただきました。
当時は、パンダの里親のことはあまり知られておらず、その数も全世界でも余り多くありませんでした。今ではパンダの里親制度はマスコミなどを通じ多くの人に知られるようになりましたね。張和民さんの功績だと思います。
私が里親になった当時は1匹のパンダにやっと1人里親がつくような状況で、パンダの命名権も里親にあり、今のように愛称ではなく登録されている名前をつけることができたりしました。
中には里親のいないパンダもいました。イエイエのお母さんは里親がいなくて、21号と数字で呼ばれていました。。。でも子供をたくさん授かりセンターでは大切にしてもらっていたと思います。




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